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2013年8月2日金曜日


世界銀行アフリカ局保健スペシャリスト


馬渕俊介さん                     






数ヶ月に及ぶアフリカ出張の間、つかの間のワシントンDC滞在中にインタビューを受けていただいた。世界の国際援助機関の中心である広大な世界銀行ビルで向かい合って座りながら、通りがかった同僚と声を交わす馬渕さんを見ながら思った。こうして世界の舞台で評価される日本人がいるのかと。

ハーバード大学院、マッキンゼー、世界銀行と、馬渕俊介さんが国際舞台で歩んできた道は、どれかひとつをとっても多くの人が憧れるキャリアだ。しかし馬渕さんにとっては、それらはゴールではなく、その先にある「国を変え人々の生活を変えるような大きな結果を出せる途上国支援をする」という目標に向けて「必要」な選択肢だったのだとインタビューを通して感じた。結局のところ自分のゴールを定めるのは他の誰でもなく、自分自身なのだろう。馬渕さんのキャリアへの姿勢は、あなたの現在の目標にちょっとした変化をもたらしてくれるかもしれない。



学生時代、異国の地で感じた魅力と理不尽さが今の原点

Q. どのような学生時代を過ごされましたか?

大学時代は文化人類学に魅せられました。全く違う文化と精神世界の中で、自分たちの文化に誇りを持って生きている人々の姿が単純にかっこいいと思ったんです。単純な冒険心のようなものもあったと思います。そこに飛び込んで同じ目線で学びたいと思ったのがきっかけで、世界を旅するようになりました。グアテマラの少数民族の村に計画もなしに行って、2週間半ホームステイさせてもらったりもしましたね笑。もともと運動が好きだったのでムエタイも始めて、タイ人の元世界チャンピオンから鍛えてもらってプロのライセンスを取ったりもしました。

Q. 開発援助の道に進むことを決意された理由は?

グアテマラに行った時、ホームステイ先の子供が病気になりました。でも病院があまりに遠くにしかないからただ寝ているだけ。その子は助かることができたけど、もし寝て回復しなければ手の施しようがなかったんです。その時、こうして死んでいく子供が他にいることの理不尽さと、何もできない自分の無力さ・恥ずかしさを、リアルに感じました。ただ途上国を旅して、人々が持つ多様な文化を美化するだけじゃなく、自分たちのペースで生活を変えようとしている人たちの手助けをしたいと思った瞬間でしたね。他の国でも、ネパール僻地の当時のカースト制の影響など、同年代の若者たちが仲良くなった後に静かに語ってくれる、チャンスのなさ、夢を思い描くことの難しさ、理不尽な仕打ちを受けた経験などが強く心に残り、この仕事に進む原動力になりました。



JICAで感じた課題を胸にハーバードからマッキンゼーへ

Q. これまでのキャリアを教えていただけますか?

大学卒業後はJICAに入りました。早く開発の現場で働きたいと思っていたのと、日本人として途上国に貢献したいという思いが強かったので、JICAは第一志望でした。その後、ハーバードの公共政策大学院、経営コンサルティング会社のマッキンゼー、ジョンズホプキンス大の公衆衛生大学院を経て、現在の世界銀行のポストをもらいました。

Q. 開発援助を志しながらハーバード公共政策大学院や経営コンサルティング会社に行かれた理由は?

JICAで働く中で、教育や保健、金融などの基礎サービスを持続的に提供できるようになるには、相当なスピード感と柔軟性を持って、ビジネスモデルを徹底的に作り込んでいけるようでないと駄目だと痛感したからです。でもJICAのみならず開発業界全体に、そういうマネジメントのノウハウもなければ、ノウハウを持った人も少なかったんですね。だから外に出て、ノウハウを自分で学んで持ち帰ろうと考えました。公共セクターのベスト・プラクティスから学びたいと思ってハーバードの公共政策大学院に進んだし、マッキンゼーでは常にどうやったら民間企業のサービス・デリバリー改善のノウハウを途上国開発に生かせるかを考えていました。


マッキンゼー時代の忘れられないピンチからの学び

Q. これまでの人生でピンチを経験されたことは?

ピンチはたくさんありましたが笑、一つあげるなら、マッキンゼーにいたときに経験した、オーストラリアの鉱山事業の案件を任された時のことでしょうか。私も含めて、僻地の鉱山に送り込まれたチームメンバーの誰も鉱山のことを何も知らないのに、半年で生産量を3割上げないと報酬がもらえないというコンサルティング契約での仕事だったんです。しかも私たちの前に入っていた別のコンサルティング会社が失敗していたから、現場からの信頼がマイナスの状態でのスタートでした。オーストラリア英語も、凄いなまりで全くわかりませんでした笑。私の直接のクライアントは非常に厳しい鉱山の新任ディレクターで、鉱山オペレーションの経験数十年、着任後2ヶ月で、直属のマネージャーを2人解雇にして1人降格させるような人でした。鉱山オペレーションを理解するのに必死でもがいた結果、最初のプレゼンに対する反応は、「そんなことは全部知ってるよ」という厳しいものでした。

Q. そのピンチをどうやって切り抜けられましたか?

知ったかぶりをして信頼を得ようとしても化けの皮がすぐにはがれて信頼を失うだけだと失敗から悟りました。まず、開き直って知識のなさはクライアントに補ってもらうことにしました。その上で、クライアントがうまくできずに悩んでいることで、かつ私たちコンサルタントが出せるバリューが大きい分野を必死に考えて、そこだけを本当に一生懸命やりました。

その分野は、本当のボトルネック*を見つけることと、オペレーションの全工程を可視化して、ダイナミックに動くボトルネックを日ごとに把握して対策を講じていく仕組みを作ること、それから強いマネージャーを育成することの3つだったんですね。経験の浅い新興の会社だったこともあって、長い採掘・加工・発送工程の中で、どの過程の効率が一番悪いかは誰も分からず、各部門長はお互いを責め合っている状態でした。でもマッキンゼーにあったノウハウを使って、全く種類の違う採掘・加工の工程をすべて同じスケールで定量化して、スピードを比べることができました。そうして測った全工程のスピードを毎日壁に貼って皆で議論する「戦闘部屋(War Room)」を作って、生産目標の達成を妨げている原因を突き止め、各部門・現場に責任を落として解決していきました。また、新しいマネージャーとは鉱山オペレーションが始まる朝4時過ぎから行動をともにして、ミーティングでのパフォーマンス管理のやり方などを一緒に考え、進捗をディレクターに細かく報告したり、ディレクターの前でマネージャーが輝ける機会を作ったりしました。ディレクターは忙しすぎて現場に行けないことを悩んでいたので、私が現場のトラックや掘削機にほぼ毎日乗ったり朝礼で現場のワーカーと議論したりしながら、現場の生の指摘をディレクターに伝えることも続けました。凄いプレッシャーでしたが、結果的に3割増の目標も達成できたし、現場とディレクターからの信頼も得ることができたんです。

正直、今でも鉱山事業のことは分かっていない部分が多いです笑。でもあの経験を通して、たとえ自分自身に知識が足りなくても、お互いを補い合うチームを作って、システムを作り込めば改革が起こせると分かりました。一番知識・経験を持っているのは現場の人ですが、システムが働いていないと彼らの力を最大限生かせない。現場を改善のリーダーにし、現場のモチベーションを高めて現場からの発見を生かすシステムを作るノウハウを身につけてきたのが、今の強みにもなっています。それから、どんなピンチになっても、最後にはなんとかできるもんだという妙な自信というか楽観主義も身につきました笑。

*ボトルネック:一連の作業工程の中で、最も時間のかかっている工程。全体の工程の生産量は、その工程の生産量に制約される。


積み重ねが実った世界銀行のポスト獲得

Q. 今までで一番のチャンスをつかんだ経験は?

世銀の今のポストは大きいチャンスでしたね。普通なら契約社員のコンサルタントとして何年も経験を重ねた後にもらえるような正規職員のポストなんですが、私の場合は、地域ディレクターによる一本釣りのような形で即決採用してもらえました。アフリカという部門、国の保健医療システムの改革に挑むというスケールの大きさ、そしてチームリーダーをできる正規職員という理想のポストでした

Q. そのチャンスを引き寄せたご自身の強みは?

まったくの異業種だったマッキンゼーで働くという人生のチョイスがあったから、チャンスを掴めたんだと思います。
マッキンゼー時代に、民間企業のサービス・デリバリーを改善するノウハウを、かなり体に染み付けることができました。それをどうやって保健医療のサービス・オペレーションに生かしていくつもりかを説明したら、ディレクターが気に入ってくれたんです。ちょうど世界銀行も計画や政策を重視していた時代から、「結果」を着実に届けることにもっと真剣に取り組まないと駄目だという意識を強く持つようになってきていたので、「君のような人にきて欲しい」と言ってもらえました。

元をたどればJICAに入った時から、理想の国際開発支援をやるために必要な経験・スキルは何かを常に考えて環境を選んできたから、チャンスが掴めたのだと思います。チャンスって降って湧いて出るようなものじゃなくて、それまでの行動と経験が集約して手に入るものだと思うんです。

それから、もう一つ伝えたいのは、チャンスは自分で探し続けて見つけてくるものだということです。私の場合は、民間のノウハウを国際保健の仕事に生かすと決めて2つ目の大学院(ジョンズホプキンス大)に行ってから、勉強の傍らほぼ一年かけて理想のチャンスを探しました。その間書類でも面接でもたくさん落ちましたし笑、色々な人に相談に乗ってもらい、助けてもらいました。オファーをもらっても、次の5年をかける場として確信が持てなかったこともありました。少なくとも私の場合は、自然と人に乞われて凄いチャンスが舞い込んでくるという美しい話はありません。チャンスはあくまで考えて挑んで行動して苦労しながら最終的に得ることができるものでしたし、これからもそうだろうと思っています。


用意されたものは何もない、それが世界銀行

Q. 現在取り組まれているプロジェクトは?

ナイジェリアとリベリアの保健医療セクターで、サービス・デリバリーの改善を目指しています。そこでも中央政府から地方政府、病院やクリニックなど各アクターのサービスの成果を指標に落とし込んで結果を測れる仕組みを作るんです。そしてその結果に応じたインセンティブ(報酬)を提供するようなこともやっています。

これは、マッキンゼーでやっていた民間企業のオペレーション改善のやり方と基本は一緒なんですよね。明確な目標と、結果や数字は人のモチベーションを上げてくれます。例えば、学生も目標があると燃えますし、成績という数字があがると嬉しいし、それをしっかりほめてもらえるとやる気がでますよね。それと同じように、開発の分野でも現場で働く人の目標・責任を明確にして成果を数値化し、進捗を一緒に確認していくことは、やる気をもってもらうための基本的な仕組みだと思います。それから、サービスに関する権限を現場の人々に移すこと。マッキンゼー時代に、スーパーマーケットの経営でパートの従業員さんの情熱と主体性を如何に引き出すか考えていた経験が、今は保健医療の現場で役立っているのが面白いですね。

Q. 世界銀行というのはどんな職場ですか?


自分のために最初から用意されているものは何もないという組織です。入行した時は、自分の机だけあるけど仕事は何もないという状況でスタートしました。

そこで上司に二つだけ質問しました。「誰が働くと成長できるか?」と「誰が今助けを必要としているか?」です。そこで名前があがった人たち全員と話して、自分の経験とスキルを売り込んで結果を出し、仕事を取っていきました。
今ではプロジェクトでチームリーダーを務めるようになりましたが、今でも自分が動かないと何も動かない状況は同じです。現場への出張も自分で計画するし、新しいことをやるために必要な資金は自分で営業を重ねて取るし、チームも自分でいい人を内外から探して作ります。逆に言うと、自分次第で本当にいろいろなことができる組織です。



アフリカの医療改善を通じて日本にも貢献したい

Q. 今後の目標は?
短中期的には、ナイジェリアの保健医療システムを改善して、「2015年までに100万人の命を救う」という国の目標を達成する原動力の一つになりたい。保健医療システムがアフリカで最も複雑でバラバラとも言われているナイジェリアでも、改革はできると証明したいです。そのためにも保健医療システムの運用にもっとマネジメントの視点を組み込んでいきたいですね。今のところはまだ世界銀行にも業界全体にも欠けている視点だと思います。

アフリカの医療改善が一番の目標ですが、もう一つは、日本人が国際社会で大活躍できることを証明していけるようになりたいです。日本人の相手の視点にたって考えられる能力や結果に対する責任感、誰とでも自然と同じ目線で接することができる特質は、他にはなかなかない強みです。

国際的なコミュニケーションや仕事の作法を完璧に身に付けたうえでその強みを生かすことで、世界をダイナミックにリードする「新しい日本人観」を自分達の世代で作っていけると思っています。実際、それができると思わせてくれる人たちは、同じ世代にたくさんいますよ。そうして次の世代の人たちが、私が苦労したような壁を平然と乗り越えて、自然と国際社会でリーダーシップを発揮していくようになればいいなと思っています。

こうした目標を見据えつつ、この業界に入った原点を忘れないようにしたいですね。私にとっての原点は、多様な文化を持った人々への敬意と、多文化交流の純粋な楽しさ、その中で人々が理不尽な死を遂げたり不利な状況に置かれていることへの問題意識でした。今後も途上国の人たちが、将来に希望を持って生きていける環境づくりに貢献していきたいです。


2013年5月29日
聞き手・写真:橋本悠


<馬渕さん略歴>
国際協力機構(JICA)社会開発部プロジェクト担当、エチオピア財務省/USAIDアドバイザー、UNDP BOPビジネスアドバイザー(インドネシア)、マッキンゼー・アンド・カンパニー(日本、南アフリカ)マネージャーを経て世界銀行入行。マッキンゼーで得た民間経営のノウハウを生かしてナイジェリア、リベリアの保健医療システムの改革に従事中。東京大学教養学部卒業(文化人類学)。ハーバードケネディ行政大学院にて公共政策修士(学長賞受賞)、ジョンズホプキンス大学にて公衆衛生修士(上位5% ソマー奨学生、Student Recognition Award)取得。ジョンズホプキンス大学博士課程在籍中。東北大震災の復興を支援する海外向け寄付プラットフォームDonate Japan(http://donate-japan.com/)を友人らとともに立ち上げ。







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