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2013年8月8日木曜日


日本テレビ ワシントン D.C. 特派員、元「リアルタイム」キャスター            


近野 宏明さん

                     

 テレビニュース番組の顔であるキャスターを10年間務められた近野さん。キャスターという限られたチャンスをつかめた理由に迫った。「本当の理由は分からない」と謙遜される近野さんだったが、インタビュー中の丁寧な言葉選びと受け答えからは、キャスターの真髄が垣間見える気がした。

 そんな近野さんが定義するキャスターの究極の役割は「視聴者の生命と安全を守ること。」 キャスターの役割とは想像し難いかもしれないが、この役割を意識し始めたきっかけ、そして実際に実践した経験まで語っていただいた。テレビ画面上だけでは分からないキャスターの心意気を感じれること間違いなしのインタビューです!




キャスターの知らせは意外な場所で

キャスター時代の一枚
(ご本人提供)

Q.ニュース番組のメインキャスターのチャンスをつかんだきっかけは?

最初は社会部の記者でしたが、入社7年目の春に当時の報道局長から言われたんです、「近野、ちょっとキャスターの仕事やってもらうから」って。場所は本社のトイレでした。(笑)全く予想していないタイミングだったし、まさかキャスターをやるとは思っていなかったので、まさに晴天の霹靂でした。


Q. どうしてそのチャンスが自分に巡ってきたと思いますか?

振り返ってみると、入社1年目に会社の飲み会で、キャスターになりたいと全体の前で話していたんです。当時は「自分で取材したものを自分で読んでお伝えしたい」という自然な気持ちからだったんだろうと思います。それにしても新入社員にも関わらず身の程知らずでした。でも周りは意外と親身に受け止めてくれて、それじゃあこうした方がいい、とかアドバイスをくれました。そしてあの飲み会の場には、

トイレで声をかけてくれた後の報道局長がいました。でもチャンスが巡ってきた本当の理由は分からないんですよ。ある関係者の人からは「あの沖縄での25分間の中継が相当インパクトあったからだよ」と言われました。


起死回生、25分間伝えきった生中継

Q. 沖縄での25分間の中継とは?


まず経緯からお話しすると、もともと入社1年目の1995年から2年間、社会部の記者として沖縄にほぼ駐在していました。当時はアメリカ兵による少女暴行事件を機に沖縄が基地問題で揺れていたので、本社から沖縄に記者を送ろうとなった時に私に声がかかり、二つ返事で行きますと答えました。大学で日本の近代史を専攻していたこともあり、基地問題には関心があって。その2年の駐在が終わるころには、自他ともに認める沖縄担当になっていました。


2000年に沖縄サミットが開かれました。その頃はすでに東京に戻っていたのですが、これは自分の経験が生かせるぞと思って、取材に手を挙げました。そして取材の終盤、例の中継が巡ってきたんです。
サミット終了後、アメリカのクリントン大統領(当時)が嘉手納基地で帰国の飛行機に乗り込む様子を生中継でレポートすることになりました。3分間くらいの予定で。それが突然、大統領が見送りに来ていた沖縄の関係者1人1人と握手を交わし、会話をはじめたんです。3分間で終わるはずもなく、25分間くらい中継を続けました。全く予想外のことで、その場に特に資料はなかった。

でも2年間の駐在時代の蓄積があったから、大統領が話しかけている沖縄の関係者の方のことは全員わかっていたんです。この人は村の村長さん、あの人は町長さんという感じで。それでその人たちの基地に対する考え方や地元で起きていることなども取材を通して聞いていました。だからそれらを伝えきりました。生中継だったから自分のレポートがそのままオンエアで放送されて、海外メディアの集まるメディアセンターでも放送されました。あれはやりきった感がありましたね。

沖縄駐在の2年間が第一段階、その集大成としての第二段階の嘉手納基地でのレポートがあって、キャスターを任せてもらえたのかなと思います。




視聴者の「生命と安全」を守るために


Q. その後、ニュースキャスターを約10年間やられた訳ですが、キャスターとしての役割は何だと思いますか?

究極的には、視聴者生命と安全を守ることじゃないかと思っています。



Q. 「正確にニュースを伝える」などのお答えを予想していたのですが、
  「生命と安全を守る」ですか?

正確にニュースを伝えるということも含めて、色々あるキャスターの役割を究極的に突き詰めていくと、視聴者の生命と安全につながると思うんです。特にそのキャスターの役割が問われるのが、災害報道だと思います。
災害時に伝える側が不必要に動揺したりあおったりすると、視聴者に余計な不安をあおってしまいます。きちんと正確な情報を伝えることで、もしかすると怪我をしないで済む人を救えるかもしれない。そうするために自分が自信を持って正しい情報を伝えられるようになりたいと思って、防災士の資格を取りました。
テレビメディアは同時性を持って、しかも不特定多数の人に情報を拡散できる特徴がある。災害報道は、そのテレビメディアの真価が発揮される場だと思います。

 
Q. 実際にその役割を実践された経験はありますか?

2004年に起きた十勝沖地震の直後、おそらく日本のテレビニュースの中では初めて、キャスターとして視聴者の皆さんにこう呼びかけました。「お子さんがいらっしゃる視聴者の方は、もし恐がったりしている様子があればぜひ抱き寄せてあげてください。」アメリカでは地震直後のニュースでこう言われていると、防災関連の勉強をしている中で学んだんです。もし機会があれば言おうと思っていました。

後日、本当に多くの視聴者の方からお便りやメールをいただきました。「自分のことで頭がいっぱいで、あなたの言葉を聞いて子供を見ると本当に小さくなっておびえていた。抱きしめてあげるとほっとしていた。」といった直接の反応を聞いて、自分はキャスターとして「生命と安全を守る」という目的意識をより強くしました。今このフレーズは、日本テレビ局の震災発生時のマニュアル本にも載っているんです。


Q. メディア報道では、被災地の情報に比べて被災地の人々に向けた情報が少ないという批判もあります。近野さんが被災者のためになる報道を心がけるようになったきっかけはありますか?

入社直前の1995年に阪神淡路大震災が起きて、ボランティアに行ったことがきっかけなんです。被災地した皆さんから報道への注文を直に聞いたことで、震災報道において被災地のための情報を伝える大切さと、報道の道を行く者として視聴者の生命と安全を守ることが大切にするという今の目標ができました。「会社入ったら頑張ってや」という神戸の人たちの言葉が今でも心に残っています。



100点満点の生放送なんてない

Q. 良いキャスターになるために求められる能力は?

瞬発力」と「冷静さ」だと思います。細部の情報を瞬発的に拾い上げる手際と、冷静に全体を俯瞰する視野の広さ。加えて、両者を結び付ける「経験」と「知識」も重要だと思います。生中継の時に基礎的な情報は原稿で入ってきますが、どこに着目するか、着目したポイントからどう全体を表現することは、キャスター次第のところが大きいので。

あとはピンチをピンチと捉えないことでしょうか。生放送なので、出すべき字幕が2,3出なかったとか、現場に向かう途中で渋滞に巻き込まれて中継の開始時間が遅れたとか、不可抗力も含めて確実に何か予定通りにいかないことが起きるんです。実際に全て予定通りの100点満点の生放送なんて、経験がないですね。全てが予定通りに放送が終わるとすれば、生放送としてどうなんだろう?という疑問も出てくるかもしれません。


Q. 今後の目標はありますか?

今はワシントンDC支局の記者として、世界のニュースから日本のことを考える機会を視聴者のみなさんに提供できればと思っています。
記者とキャスターを18年間経験して、その中でいかに自分が世界の一部のことしか知らないか、また日本以外で起きていることを知らないかを実感するようになりました。このDC支局で自分の角度からとらえた情報を日本の視聴者にお伝えして、それが日本のことを考えるきっかけになればと思ってやっています。この機会に恵まれたことには本当に感謝しています。




2013年6月7日
聞き手・写真:橋本悠



―近野宏明さん略歴―


1995年3月 早稲田大学第一文学部史学科卒業
1995年4月 日本テレビ放送網入社
報道局社会部、政治部で記者として
沖縄基地問題や、政治、行政、事件・事故などの現場を取材。
キャスター職を兼務し、2005年から5年間「NNN NEWSリアルタイム」のキャスター。
2013年4月 ワシントン支局特派員(現職)



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