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2013年6月3日月曜日


日本テレビ報道局 ワシントン支局長

    

青山和弘さん                  




表紙の写真を見て、「この人見たことある」と思った方もいるのではないだろうか。青山和弘さんはこれまで、ニュース番組のみならず「ミヤネ屋」などワイドショーでも分かりやすい政治解説をお茶の間に届けてきた、日本テレビを代表する記者の一人だ。

現在はワシントン支局長として活躍中の青山さんに出会ったのは約1年前のこと。テレビ画面を通して伝わってくる青山さんのさわやかで若々しい姿そのままが第一印象だった。その後、同支局でインターンシップ生としてお世話になり、どんな講演会に同行してもQ&Aで必ず質問する青山さんの姿が印象に残っている。
会社から託されたいい取材のチャンスを、持ち前の“しつこさ”で有為な人脈に変え、特ダネにも結びつけてきたという青山さん。話のプロだけに、見逃せない格言も登場する。





人脈が生かせるのが政治記者という仕事

Q. 青山さんは「政治」のイメージが強いですが、政治記者になったきっかけは?

子供の頃から将来TVのニュースに携わりたいと思っていて、日本テレビに入社しましたが、最初は社会部の記者でした。それは当時、事件事故や天災など社会部のニュースが大きな割合を占めていたからです。しかしその後1993年の細川連立政権の発足を見て「日本の政治が動き出している」と感じて、政治部に異動の希望を出しました。それまでは自民党の一党独裁で変化が少なかったけど、それが終わって政治が変わるし、日本が変わるんじゃないかと感じたんです。最初に社会部を希望したのも政治部に移ったのも、注目が集まるところで取材したいという極めて単純な気持ちでした。

でも今考えると、あの時政治部に移れて良かったと思います。当時の議員や秘書さんが今も永田町で活躍しているなど人脈が今でも生きていますし、細川政権の蹉跌を生で目撃できました。どの記者もそうですが、特に政治記者は長くやることで経験や見識、人脈が生きてくる仕事だと思います。


Q. 青山さんにとってのチャンスとは?

注目の出来事や将来ある政治家の取材を任せてもらえることだと思います。営業職に例えればお客さんに恵まれるということでしょうか。記者の場合も、いいネタを担当してそこで頑張れば、結果も出るし、将来にもつながるんです。

若い頃の大きな出来事としては、アメリカ留学から帰ってきた1996年に新党「さきがけ」の担当になって、代表幹事(幹事長)だった鳩山由紀夫さんを取材しました。そして、その13年後の2009年に、自分が官邸キャップ(内閣の取材班のまとめ役)をしていたときに、その鳩山さんが総理大臣になったんです。
1996年当時、「民主党」が生まれる直前で「さきがけ」は政局の焦点でした。また鳩山さんも月刊誌で将来有望な政治家の1位に選ばれるなど注目されていました。よくまだ駆け出し政治記者の自分に担当させてくれたなと思います。その時、上司には相当言われました、「これは俺にとっても冒険なんだ」と。だから若かったこともあって無茶苦茶頑張りました。鳩山さんの夏休みのスイス旅行にも、他社を出し抜いてついて行ったりして(笑)。もちろん単独インタビューを撮りましたけどね。


「しつこさ」が自分の強み

Q. 青山さん自身の強みはなんでしょうか?

結構しつこいところだと思います。あまりそう思われないんですが、意外と執念深いんです。夜回り、朝回りなど他の記者がやることも大切ですが、一方で違うことをやるようにも工夫します。

「さきがけ」担当の頃には、こんなこともありました。当時国民的な人気を博していた菅直人厚生大臣が、新しくできる「民主党」に加わるかどうかに注目が集まっていて、次に鳩山さんと菅さんがいつ会談するのかが焦点でした。

そんな時、鳩山さんが軽井沢の別荘に行くというので、「何もないよ」と言われましたが、ついて行きました。ついて行ったのは全部で4社でしたね。
別荘の前に立っていたんですが、夜になってきたので他社は帰りました。ただ自分は菅大臣は今晩から予定がないっていう極秘情報を同僚から聞いていたこともあって、確信はないままでしたが、ずーっと立っていたんです。そしたらそこに来たんです、菅さんが。興奮しましたね。自分しか見ていないわけですから。そして会合が終わって菅さんが出てきたときに映像を撮りました。民主党結党について話したのは間違いなかったので、菅・鳩山会談は大スクープになりました。翌日からは別荘の前に全社集結して大騒ぎになりましたね。


犬も歩かなければ棒にあたらない

Q. チャンスをつかむために必要なことは?

ちょっとしつこくすることもそうですし、ささいな情報に敏感に反応することです。さきほどの菅・鳩山会談も同僚の情報がなければ、僕も家の前に立っていなかったと思います。ちょっと怪しいなと思ったら、行ってみる、やってみるというのは大事ですね。

特ダネって取りに行くものじゃないんです、遭遇するものです。ただ遭遇するためにはちょっとした努力が必要です。犬も歩かなければ棒にあたらないし、棚の下にいないと牡丹餅も落ちてこないというのが自分の座右の銘です(笑)。


目指すのは視聴者目線に立って本質をつく解説

Q. 理想の記者像はなんですか?

いい情報を取ってくることはもちろんですが、そこにきちんとした分析や解説をつけられる記者ですね。例えば一つの発言でも、その持つ意味をきちんと視聴者に伝える必要がある。そのためには発言者の普段の考えとか性格とか知っておく必要があります。

例えば鳩山さんが総理大臣の時、普天間基地移設問題で様々な「迷言」がありました。「移設先の腹案がある」とか。やはり自分は鳩山さんを長く知っているのであの人の発言の癖とか、考えとか他の記者より見てきているんです。それに取材を加えると見えてくるんです。「腹案と言っているけど、この段階でたいした具体策があるわけでない」と。やはり自分があまり知らない政治家だと、手探りになってしまうと思います。これが政治記者がいろんな政治家を担当する理由だと思います。

それと自分が伝えたいことよりも、視聴者が知りたい、知っといたほうがいいことに視点を向けることが大切だと思います。記者の習性としてつい自分の知っている情報を詰め込みたくなるんです。ただそれでわかりにくくなったり、視聴者にとってあまり意味がないものなら本末転倒です。特にテレビは視聴者の目線に立って、多少情報が少なくても、テーマを絞ってわかりやすく伝えることが大切だと思うんです。そして興味を持ってもらうことが大事です。


Q. 今後の目標は?

より深く本質をつく解説やコメントをしたいです。さきほど言った分析や解説のさらに上を行くものですね。今の状況は大局的に見てどういう状況なのかとか。それは政治や国際情勢への深い洞察のみならず歴史観や哲学も関わってくるでしょう。

今はワシントン支局長としてオバマ大統領を見ていますが、単に今起きていることの解説にとどまらず、これからアメリカは世界はどうなるのか、そして今どこにいるのか、そういうことも分かりながらコメントを加えられたらいいですね。そのためには色々な本を読んだり話を聞いたり、常に勉強ですね。会社が許す限りはこれからも記者として少しずつでも進化していければいいなと思います。



2013年5月13日

聞き手・写真:橋本悠



―青山和弘さん略歴―

1992年3月 東京大学文学部社会心理学科卒業
1992年4月 日本テレビ放送網入社
報道局社会部、政治部記者、朝ニュースキャスター、ニュースZEROデスクなど
編成局編成部、コロンビア大学大学院留学も
2007年12月 政治部国会・官邸キャップ
2011年7月 外報部ワシントン支局長(現職)


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