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2013年9月8日日曜日

共同通信社 ワシントンD.C.支局次長  


有田 司さん




2003年、アメリカの対イラク戦争が勃発。アメリカ軍が攻撃すると知りつつバグダットへ取材に向かった有田さんはホテルで砲撃にあう。

命を懸ける仕事。なぜひとはそれに挑戦できるのか。

「死にたくはない、当たり前だけど」と有田さんは言う。決して死を恐れていない訳ではない。ではなぜか。
自分の信じた目的が、他人の考えるリスクを超えるとき、ひとは突き動かされる。そう有田さんの言葉を聞いて感じた。そんな仕事に出会えれば、それは天職だと言えるのはないだろうか。




泊まっていたホテルへの砲撃

Q. 記者生活の中で印象に残っていることは?

2003年のイラク戦争の取材で、宿泊していたバグダッドのホテルが砲撃されたことが印象に残っています。

当時、アメリカ軍がバグダッドに向かって進攻していたので、その到着を待ちつつ、現地の取材をしていました。そしてある日、アメリカ軍の戦車が見えたんです。川の向こう側からバグダッドに向かってきて、川を挟んでイラク軍との砲撃戦が始まりました。ホテルの16階の部屋のベランダからその様子が良く見えました。
部屋の中で原稿を書いていると、突然ホテル側から全員下に降りるように言われたんです。「あー降りたら人質にでもされるんだろうか」って思いながらエレベーターに乗ると、途中の15階でエレベーターが止まってドアが開きました。そしたら目の前に血だらけの人が倒れていたんです。どけどけーって叫びながら、けが人を担架で運ぶ人が通り過ぎていきました。
何が起こったんだと思って周囲の人に聞くと、奥の部屋の壁にとんでもなく大きい穴が開いていたんです。これは鉄砲じゃない、戦車の大砲が撃ち込まれたんだと思いました。アメリカ軍の攻撃と分かったのは、後になってからのことです。

この砲撃で自分に怪我はありませんでしたが、あの場にいたジャーナリストが2人亡くなってしまいました。フセイン像が倒され、アメリカ軍がバグダットを陥落させたのは翌日のことでした。



自ら望んだイラク行き

Q. そんな極限の状況を体験されたんですね。戦場になると分かってイラクに行くことに、ためらいはありませんでしたか?

なかったですね。一度イラクを出たこともありました。ブッシュ大統領(当時)が開戦を事実上宣言したときに、会社から「ただちにイラクから退避せよ」という業務命令が出て、これを無視したら首だと思ったので(笑)。


でも攻撃が始まったのを隣国のヨルダンから取材していて、イラクで取材しないのはおかしいと思ったんです。戦争を取材しに来たのに、どうして現場にいないんだと。だからイラク再突入をずっと会社に訴えて、戦争中にバグダッドに戻ることができました。


Q. ご自身を何がそこまで突き動かしたのでしょうか?チャンスだと思ったのでしょうか?


チャンスだとは考えていなかったですね。記者として名をはせたいという気持ちがあれば、チャンスだったのかも知れません。でも単純に、世界が最も注目している場所で、現地の人々がどんな気持ちでいるのか知りたいと思ったんです。




現地で知ったイラク市民の声

Q. 実際にイラクの人は何を考えていたのでしょう?

意外かもしれませんが、アメリカを支持し、戦争を密かに待望するイラク国民がかなりいました。

独裁国家のフセイン政権は、市民の自由を奪っていました。フセイン政権を悪く言おうものなら牢屋に入れられる、という状況でした。そんな状況に置かれた彼らからは、アメリカとの戦争が自分たちの世界を変えるかもしれない、という強い期待感を感じました。イラクの人たちは教養のある人が多いので、フセイン政権を倒せるのはアメリカしかいないと分かっていたのだと思います。



Q. そんな世界があったんですね。

あるイラク人は「あなたは希望のない平和と希望の持てる戦争のどちらを取りますか」とわれわれに問いかけました。世界にはこの2択の中で生きている人がいるんです。
日本にいたら戦争に反対することは当然のことだと思います。でもこの日本の常識が世界の常識とは限りません。日本にいては想像もできない社会があると知って、自分の生きている世の中だけが世界ではないと感じました。




モノの見方を提供する仕事

Q. 実際のイラク市民の声は記事にされましたか?

たくさん書きましたね。記者としての役割は、想像ではなく現場で取材して、その取材に基づく事実を伝えることだと思うんです。
そして読者の皆さんに色々なモノの見方を提供する。自分が当然だと思っていること、または絶対に間違っていると思うことを再度考えてもらうことが記者としてのゴールだと思います。



Q. イラクでの取材を振り返り得たものはありますか?


今から振り返ってみると自分の糧になったと思います。現場に立って実際にイラク人の声を聴いたことで一面的なモノの見方は危険だと気づき、単純な書き方をしてはいけないと強く意識するようになりました。場数を踏むことはどんな仕事でも大切だと思います。
究極的な状況に置かれたおかげで、仕事が大変でも「まあそれでも死ぬわけではない」と達観できるようになりましたね。




2013年5月17

聞き手・写真:橋本悠




―有田司さん略歴―

共同通信社ワシントン支局次長。新潟県出身。
1992年 共同通信社入社
             徳島支局、広島支局を経て、ロシア留学。経済部を経て外信部勤務。
2000年  モスクワ支局特派員。
             アメリカによるアフガニスタンのカブール侵攻(2001年)、イラクのバグダッド侵攻(2003年)を取材
2004年  外信部を経て政治部
2006年  ワシントン支局特派員
2009年  経営企画室委員
2011年  現職


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